PEACE BEAT CLUB 2007 FINAL

 

PEACE BEAT CLUB について

音楽を通してメッセージを伝えることで、多くの皆様に「平和」を感じる機会をもってほしい。
そして他人を思いやる気持ちの大切さを改めて感じてほしい。
そんな「ピースコンサート」です。

ミュージシャンの槙健一が中心となり、「平和賛成」の精神のもとに1996年Vol.1に始まり、長崎で開催され続けている音楽フェスタです。
発起人の槙健一は2002年9月、32歳という若さで他界しましたが、その後、槙健一所縁の方々の有志により、その意志は引き継がれ、PEACE BEAT CLUB は開催されています。

槙健一は1995年10月、長崎県の稲佐山で開催された「戦後50周年ワールドピースフェスタ」に出演。会場には平和のメッセージを書いたリボンが世界各国から届けられました。このイベントにおいて、「みんなは長崎は素敵な街だと言うけど、この街には原爆が落ちた歴史があって、平和の像が指を高く掲げて平和を祈ってるんだよ」というコンセプトをもとに「リボン」という曲が生まれ、「そのコンサートに賛同させてもらい、平和のコンサートは続けていくことに意義があると強く思った」と槙健一は話しています。ワールドピースフェスタへの参加の後、槙健一自らが発起人となり、戦後51年目から「PEACE BEAT CLUB」を開催し、「まずは5年間続けてやりたい。」と目標をたて、「平和だからライブが出来る。平和だからライブを見ることが出来る。」それを感じ取ることが出来ればすばらしいことなのでは、そして「年に1回でもいいから平和の気持ちを実感しよう。カタチにしよう。」と、病気と闘いながら「平和賛成」を掲げ、「PEACE BEAT CLUB」を1999年まで、計4回開催しました。

毎年、「PEACE BEAT CLUB」の最後には「リボン」のセッションがあり、会場内からも歌う声が聞こえ、アーティスト、観客、会場全体での「リボン」の合唱が始まります。

槙健一は病気のために他界しました。しかし、たくさんの方のご協力のもと、槙健一の有志は引き継がれ、現在でも「PEACE BEAT CLUB」は開催されているのです。

※トップページから「リボン」の試聴ができます。

PEACE BEAT CLUB 発起人 槙健一の言葉

YES!PEACE!!
「平和賛成」

僕等が願う平和とは
些細な喜びであったり
夢を掴んだ瞬間であったり
他人の痛みを感じれることであったり
自分の喜びを分け合えることだったり
心の豊かさのスペースは誰もが違う
そして僕等の願う平和とは
武器より軽く持ち易く
地球より重く大切なものである

槙健一


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